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カウンセラーも悩む


今日は、新月です。

ひと月に一度、必ず新月と満月はやってきます。

スタートラインに立ったり、新しいことを始めると長続きすると言われます。

ただそれは捨てるのではなく、得るものなのだと思います。

 

ある臨床心理士の方が、ため息をつきながらこんなことを口にしました。

「だいたいの人はさ、カウンセラーをキャバ嬢か占い師かなんかだと思ってるんだよ」

この方は女性でしたので、キャバ嬢という表現でしたが、男性だったらホストになるのでしょうか。

真意はどこにあるのかというと、ほとんどの人がカウンセラーが何者かを理解していないということです。

 

隣に座って、うんうんと話を聴き、適当なアドバイスをしたり。

共感を示しつつお酒を注いだり。

何かしら言い当てたり。

これは、カウンセリングではありません。

巷にあふれるカウンセラーまがいの方たちや、自称セラピスト。

心理カウンセリングの本質が何かも知ることなく、自分がどの心理療法を施しているのかもわかっていない。

ロジャーズも、フロイトも、ユングも、アドラーも、耳にしたことがない。

 

この国で本当にカウンセリングが求められるようになるのはこれからです。

まだまだ閉鎖的な考えをする方が多く、自分の悩みやストレスを愚痴として外に出して満足している。

その愚痴は、ただ中空に浮かんで、消えゆくのみ。

SNSの希薄な関係性が本物の人間関係だと勘違いしている。

 

カウンセリングは、そのきっかけや原因を探り、本質を見抜いてゆくものです。

相談者であるクライエント本人が気づくきっかけやお手伝いをする。

心理学とも少し違い、コーチングとは全く違う。

なぜならカウンセリングは、教会の告解部屋から始まったのだから。

 

先月から、色んなことに悩んでいました。

人から頼られ、求められるのはもちろん嬉しいことなのですが、みなさん都合が良いのです。

こちらにも負担がかかることをあまり考えてくださらない。

まぁ、そんなものだよな、と半ば諦めつつも何とか力になりたいと思っています。

インフォームドコンセントや心理療法の説明もしていないのに、悩みを打ち明けてくる方もいます。

守秘義務も危機介入も倫理も守られない中で、相談を受けることを私はしません。

今後、一切しません。

 

美容師と知り合ったとして、食事をしながら髪を切ってくれと言いますか?

調香師に出会ったとして、自分に合う香りをこの場で調合してくれと言いますか?

バスの運転手と友だちだからといって、ルートを外れて自分の家まで送ってくれと言いますか?

 

心理カウンセラーでない自分であっても、常に心と頭は見立てをしています。

そして耳を開いているのでたくさんのことが聞こえてきます。

生活の全てがカウンセリングと言っても過言ではないかもしれません。

カウンセラーを志したときから、もう既にカウンセラー脳になっている。

もちろんこれは自分の天職だと自負していますので、悩みというのではないのかもしれませんが。

話しやすい雰囲気をしてますね、という方に自分が心理カウンセラーだと伝えると妙に納得されます。

もともと持ち合わせていた資質に、肉付けをするように学びを深めた結果といえます。

ですので、資質がない方がどれだけ学びを深めても心理カウンセラーにはなれないのです。

 

世の中がストレスや悩みに満ちているか。

 

満ちています。

満ちていますが、ほとんどの方が気づいていない。

ここ最近増えてきたのが「私には悩みがないんです」という女性。

悩みがないこと自体が、悩みなのかもしれません。

悩みがないと思ってしまっている。

この女性はそんなことを言いながらも、何時間も独り言のように喋り続けていました。

 

こんなこと、悩んでも仕方ないよ。

悩んでも解決なんてしないよ。

悩んだところで時間の無駄だよ。

 

私はそうは思いません。

悩むことやストレスを抱えることは、生きてる証拠でもあります。

よりよい生活をしようとするあまり抱えてしまうストレスや、小さな悩み。

心ない一言で傷ついてしまう気持ち。

 

傷を持たないカウンセラーはいません。

ただその傷を見せびらかしたりもしません。

同じような経験をしていても、カウンセラーは決して自分の話をしません。

深く深く思い悩み、実現できない苦しみを知っているからこそ共感できる。

寛い心を持っているからこそ受容できる。

自分を信じ、自分にウソをつかないから自己一致できる。

そしてアンテナを張り巡らしているからこそ関主観性を感じることができる。

 

カウンセラーは、悩み多き人種なのです。